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2022/06/07

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これから起きる日本の国際化“グローバルインバウンド”とは? 国際政治学者・三浦瑠麗氏特別講演レポート

2020年5月20日、全研本社の主催により、「インド バンガロール グローバル・インバウンドシンポジウム in TOKYO」と題するイベント(主催:全研本社(株) ダイバーシティ事業部/後援:外務省 日本貿易振興機構(ジェトロ)・みずほ銀行・日本航空)が開催された。本稿では、国際政治学者の三浦瑠麗氏による特別講演「これから起きる日本の国際化“グローバルインバウンド”とは?」の概要を講演レポートとしてお届けする。

コロナ危機前からの閉塞感が噴出

みなさんこんにちは。オンラインで講演をさせていただくのは初めての経験ですが、よろしくお願いいたします。今回のオファーは、新型コロナ危機の以前よりいただいておりました。昨今の世論や社会的状況を鑑みるに、本日は、新型コロナウイルスを巡る現在の状況と経済的なインパクトについてお話をさせていただきます。資料をご覧ください。「これから起きる日本の国際化」と題しまして、本日の講演の内容といたします。

プロフィール:三浦瑠麗氏
国際政治学者 シンクタンク(株)山猫総合研究所 代表
内政が外交に及ぼす影響の研究など、国際政治理論と比較政治が専門。東京大学大学院法学政治学研究科総合法政専攻博士課程修了、博士(法学)。東京大学大学院公共政策大学院専門修士課程修了、東京大学農学部卒業。日本学術振興会特別研究員、東京大学政策ビジョン研究センター講師などを経て2019年より現職。『21世紀の戦争と平和―徴兵制はなぜ再び必要とされているのか』(新潮社)の他著作多数。内閣総理大臣主宰の「安全保障と防衛力に関する懇談会」委員、吉本興業経営アドバイザリー委員、フジテレビ番組審議委員などを歴任。政治外交評論のブログ『山猫日記』を主宰、公式メールマガジン、三浦瑠麗の「自分で考えるための政治の話」をプレジデント社から配信中。創発プラットフォーム客員主幹研究員。連載多数。「朝まで生テレビ!」「とくダネ!」「日曜報道The Prime」などに出演。

コロナ危機がもたらす先進国特有の問題というものが私の関心の中にはあります。コロナ危機は健康被害に関する危機として語られ始めましたが、問題の出口を考えてみました。私たちが社会的あるいは経済活動においてどのようなインパクトを受けるのか。人々のライフスタイルはどのように変わるのか。そして、危機が去った後の国際関係や世の中を主導していく国やリーダーはどのように変わっていくのか。おそらく、この2〜3年というところを超えて、今世紀全体に影響を及ぼしていくのではないかと思っています。

感染者は比較的欧州と米国に多いのですが、この原因はまだ分かっていません。一方、アジア諸国における犠牲者が少ない原因も、まだ科学的には解明されていません。しかし、現在起きている確かなことが一つあります。それは、先進国がこれまで持っていた内向きの感情というものがコロナ危機を境に噴出してきていること。そして、先進国がとっている感染拡大防止のための行動が発展途上国に対して大きなダメージを及ぼしているということです。

まず、コロナ危機以前から、先進国の中では閉塞感が溜まっていました。この閉塞感は、これは先進国がこれまで享受してきたもの――例えば、労働者の給料の高さ、クオリティ・オブ・ライフの高さ、社会制度や法制度などの優位性など。様々な観点から、先進国が今持っている相対的な優位が揺らいできているということです。

そして、先進国社会の成熟ゆえに既存のシステムや政策が硬直化していたという問題。例えば、少子高齢化に伴って年金改革をしたいと思っても、ほとんどの先進国は戦後に社会制度が形作られています。結果として、そこから70年あまりの間ずっと蓄積してきた制度の硬直性――あるいは、言い換えれば成熟さの裏返しなのですが、それによって束縛されてしまっています。

トランプ大統領のように、極めてドラスティックなリーダーでもない限り、今までの慣行や法律を変えてまで大きな改革は出来ないといった考え方が世の中に広がっていくと、人々は徐々に破壊願望にも近い改革期待を抱くようになります。ただ、改革期待を背負って新しいリーダーが登場したときに何が起きるかというと、まずは大きな期待が寄せられ、その後にまた大きな失望がやってきます。なぜならば、リーダー一人では大きな変革をいきなり成し遂げることはできないからです。では、その後に期待を裏切られた人々はどうなっていくのでしょうか。現状否定です。今、自分たちが豊かに暮らしている生活の基盤であるはずの資本主義経済やグローバル化に対して反感を抱くに至ります。

2015年、2016年というのは、先進国の社会にとっては大きな転換点でした。2016年にはブレグジットの国民投票が通ってしまい、アメリカではトランプ氏が大統領に当選します。そのような転換期において、人々は、今あるものを変える方向へ、壊す方向へと票を投じていました。では、コロナ危機はこれまでの閉塞感にどのような状況を新しく加えていくのでしょうか。

新型コロナウイルスというのは、年齢あるいは男女による重症化度合いの差はあれど、身分の差や財産の多寡を問わず人々に感染するので平等を促進するという考え方があります。しかし、これは間違いです。首都圏では今も自粛生活を送っておられると思いますが(編集部注:本イベントの開催日時は2020年5月20日)、そのように自粛できるのは豊かな人であり、大企業の正社員であり、公務員であり、といった身分が保障された人々ばかりだから。

現に、アメリカでは黒人の致命率の方が高いという結果が出ており、いわゆるエッセンシャルワーカーにそのようなマイノリティが多いことも指摘されています。そして、さらに議論を複雑にするのは、「戦争と同じ」という言説。しかし、実のところ、新型コロナ禍は戦争と同じではなく、感染症は生産設備を破壊しません。コロナ危機が去った後、生産設備はそのままに残り、新規投資は手控えられます。すなわち、ここから先に社会では経済成長を牽引する力が弱まるだけではなく、新しいチャンスを次世代に与えることも、そして新しい力を社会に導入する努力も怠ってしまう可能性があるということです。であれば、私たちが気を付けなければいけないことがだんだん見えてきます。

スライドで示したように、先進国特有の「相対的優位を確保したい」という思いにとらわれすぎないこと。そして、発展途上国の子どもたちを中心に30万人ほどの死者が経済封鎖によって新たに生まれてしまう悲劇――南北問題から目を背けないことも重要です。さらに、国内の安定性をめぐる問題では、格差が拡大することによる不安定さに注目すること。そして、自分たちの豊かさを成り立たせているはずのライフラインであったり、あるいは資本主義という仕組みや法制度、そういうものに対して信頼が失墜していくことを主に懸念しなければいけないということです。

経済的影響と精神的ダメージ

ここからは経済的影響と精神的ダメージについてお話しましょう。まず、経済的影響については、既に申し上げた通り、新規投資が手控えられ、既存の生産設備は破壊されないというのが感染症の特徴です。それに加え、今、私たちがしていることは何かというと、社会全体として自粛を継続し、自粛を継続するために経済的な支援を出そうということ。つまり、補償を拡大し、自粛を伸ばす方向へと社会全体が向かっています。

これは結局のところ、需要を人為的に減らした分のツケを誰が払うのかといったような壮大なババ抜きゲームを皆で行っているということです。結果としてどこが傷つくかというと、企業、そして最終的には国家や銀行が引き受けざるを得ません。けれども、国家や銀行には支えられる負荷の限界量があります。そこが傷んでくると、結局のところ、経済におよぼす長期的なダメージは、今、想定されているよりもさらに大きくなります。

そして、日本特有の現象として、私ども山猫総合研究所というシンクタンク独自の意識調査の結果を見ますと、日本人は健康被害が少ないにも関わらず、実は世界でも飛び抜けて健康不安が強いという調査結果が出ました。

出典:新型コロナウイルスに関する緊急意識調査

その意味するところは、リスクとして科学的に見た個人の致命リスクに基づくというよりも、社会全体が新型コロナウイルスの拡大を防ぐには、「息をひそめなければいけない」「経済を止めなければいけない」ということを信じていることです。その結果、不合理な選択をしても良いんだと思うような状況につながっているということです。

私たちが抱く健康に対する恐怖は自然なものであり、それ自体は間違ったことではありません。しかし、経済的には長期的な需要減をもたらします。もし、私たちが経済活動を再開し、再び感染者数が増大して経済がまた冷え込み、それが続くのであれば、政府や銀行が支えきれるダメージの限度を超えてしまいます。従って、日本が健康政策においてはそこそこ感染症の拡大を防げたとしても、経済的には長期的に見て世界で「負け組」になる可能性が存在しています。

結果的に、企業としても日本型雇用を維持することはできず、整理解雇が進んだり倒産が起きたりするだろうと考えます。そして、先進国の人々がいかにグローバル化に対して反対意見を持とうと、世界は先進国だけで出来ているわけではありません。例えば、中国などはいち早く経済を復活させようとしており、グローバル化が止まるわけではありません。とすれば、先進国の人たちが目を背けている冷厳な真実――つまり、私たちは「一人勝ち」することも出来ないし、この危機が去った後に、より平等化した社会が待っているわけでもないという事実を見据え、経済活動の再開に向けて動いていくべきだと思います。

失われた時代に再帰しないために

日本に関しての話に移りたいと思います。これまで失われた10年、20年と言われ、他の先進国からは「なぜこのように日本はダメな国になってしまったのか」と評されてきました。しかし近年は、日本に対する奇妙なほどの関心の高まりもあります。それは一つに、「日本が安くなったから」とも言えるでしょう。日本に対する投資が盛んになったのも、部分的には日本の価値が下がったからと言えます。しかし、それだけではありません。先進各国が周回遅れで日本の抱えてきた問題を体験し始めたからです。

例えば、少子高齢化、長引くデフレや低成長といった先進国特有の問題などはそのほとんどが日本が先に経験してきた課題です。同時に、日本特有の問題として関心が集まったのが、東日本大震災からの復興時に見られた「レジリエンス」という社会の強さに関してです。この視点は、今回の新型コロナ危機とも少し似ています。なぜなら、日本人は法律によって強制されなくとも粛々と自粛に応じたからです。しかし、大地震などの避けられない天災ならばいざ知らず、新型コロナ危機を抜け出す際のパフォーマンスは、政府の対応如何でいかようにでも変わります。粛々と政府の言うことを聞く従順な国民であるとか、社会全体である程度の治安や平穏が維持されるというだけでは、日本が今後評価される理由としては十分ではないでしょう。

ダイバーシティについて、日本は昔から多様性が低いと言われてきました。しかし、ある意味で、日本における商品やサービスの多様さは「ガラパゴス」と言われながらも先進国の中では群を抜いています。つまり、私たちは何らかのまったく多様性のない社会と多様性のある社会とを併存させているということです。しかしながら、日本がどれだけ経済成長できたか、日本がどれだけの魅力を他の国の人々に発見してもらったか、という点はまた別の問題です。では、私たちはどのようにして日本の価値を再発見していくべきなのでしょうか。

新しいナラティブ――語りというものが今求められている気がします。東日本大震災からの復興は、少なくとも数年間は大きな語りになりました。しかし、日本全体の失われた20年を乗り越え、これから成熟した社会としての豊かさを提供していくという考え方からすれば、単に復興あるいは日本人のレジリエンスというだけではストーリーはもちません。私たちはどのような魅力を自分たちで作り上げていくのか、そして、日本の中では良いものとされていながらも、海外ではまったく見ないような商品をどのようにして海外へ紹介していくのか。ガラパゴスのグローバル化というものが必要になってきます。

また同時に語られていない視点として、一時期に比べると日本企業は外に出て行かなくなったという言説の中に、日本の内なるフロンティアがまったく考慮されていないということがあります。内なるフロンティアとは、そもそも日本人がお金を持っていないのではなく、お金を使う先がない、買いたいものがない、利用したいサービスがない、この状況においてフロンティアを拡大するというのが一つの意味合いです。

内なるフロンティア発見におけるもう一つの意味合いは、日本の田舎における生産性を上げていくという問題です。これからも、東京をはじめとする大都市圏は田舎の人々の生活を支えていくでしょう。それはそれで正義ですが、日本全体の生産性を上げる上では、やはり人々を多く雇っている中小企業の生産性を上げたり、あるいは田舎の生産性を上げていかなければ、内なるフロンティアを十分に開拓できません。そこで鍵となってくるのがやはり人材です。

私たちは少子高齢化の時代を生きています。これまでも女性活躍など、少子高齢化の結果として新たな労働力のリソースに目を向ける試みが行われてきました。そして最近では、外国人労働者の受け入れを拡大したことによって、新しい人材圏が注目されています。しかし、私たちが外国人労働者として考える対象は、留学生がアルバイトをしているコンビニエンスストアの店員さんであったり、旅館に泊まりに行った時に、非常に上手な日本語でもてなしてくれる外国人の仲居さんだったりに目が向けられがちです。そういったサービス業の方々も重要な外国人労働者ですが、本来私たちが肩を並べて働くかもしれない外国人労働者の存在にはまったく目が向けられていません。また、日本の農業や漁業の現場などにおける見えない外国人労働者の存在、そして彼らの労働条件にも目が向けられていません。

私たちが日々の暮らしの中で消費している商品やサービスの先には、多数の外国人労働者がいるということです。そして、日本が今後の成長を担保していくためには、ガラパゴス的なところも良い部分は残しつつ、突き抜けた個性を排除するなど異端児に対して厳しい島国文化を改革していく必要があります。

日本が世界に誇れる文化の一つにアニメがあります。しかし、例えば、ジブリは当初から正当に評価されたでしょうか。「子どものアニメだ」「子ども向けのファンタジーだ」と思われていたのではないでしょうか。ほかにも、実は日本が世界に誇れるものの多くは、海外によって格付けされ、本来国産でありながら舶来品としてUターンしてきた――そういったケースが多いということです。

私たちはなぜ、国内で自分たちの正当な値付けができないのでしょうか。それは主に、異端者を排除する国民性に起因しています。この現状を変えていくためには、先ほど申し上げた多様性が重要になってきます。もちろん、多様性を取り入れれば、競争が進むのは当然です。しかし、我々がいきなりアメリカのような社会になるわけではありません。重要なのは、私たちが何をめぐって競争しているのかということをもう一度考え直すことです。

例えば、たくさんの会社が横並びで同じような製品を作り、厳しい国内シェア争いをしている市場だけを競争と呼んで良いのでしょうか。つまり、むしろ新しいことをする人達を応援するような社会でなくてはならないということです。そして、国際的なところに目を向けますと、21世紀は10年、20年のスパンで大きな変化を遂げていくであろうと思われます。アメリカの影響力が退潮し、アメリカの国内世論は東アジアに対して段々と関心を失っていくであろうと思われます。そして、時を同じくして台頭していく中国の経済力や軍事力といったものが私たちの住む環境を根本的に変えてしまいます。

戦後、日本が経済成長を遂げてきたのは、アメリカが日本に安全を保障し、シーレーン防衛を提供し、市場を開いてくれたから、そして国際的な秩序が安定していたからです。このような公共財を提供されていた中で経済成長を遂げたということを私たちは忘れてはいけません。つまり、こういった公共財が失われそうになれば、私たちは自分でそれを修理し、維持管理していかなければならないということです。その文脈において、私たちは軍事大国ではないわけですから、ソフトパワーによって日本が何をアジア諸国に提供できるのか、という考え方が必要になってきます。

経済というのは必ずしも弱肉強食の論理ではありません。私たちが得るものがあって彼らが得るものがあるとなれば、「お互い様」の論理になります。今まで日本がアジアに何を提供してきたか、何を提供するつもりがあるのかということは明瞭に言語化されていなかったように思います。日本は、国内の改革に取り組むだけではなくて、自らを取り巻く国際環境に関与していく必要があるでしょう。

日本人の経済やグローバル化意識とは

ここまで申し上げてきた必要な改革を進めていく上で、私たち日本人の今の意識を振り返っておきたいと思います。日本人の経済やグローバル化に対する意識というのはどのようなものなのでしょうか。結論から申しますと、弊社の調査結果によれば、日本人の中でグローバル化に対する党派的な対立軸は存在しません。あるいは、近年極めて縮小したのではないかと思います。

ただし、グローバル化対応のために必要な社会改革や企業改革を行うという意識はまだまだ乏しいのではないかと思います。これは調査結果というよりも事実として観測できます。例えば、外国人労働者を受け入れた際の学校教育の充実といった視点がまだまだこの社会に欠けていることなどを指しています。多様な人材活用の必要性は従前に増して高まっており、外国人労働者のイメージを低賃金労働者に固定化させてはいけないという前述の観点も忘れてはなりません。

ここからは順にグラフを見て参りましょう。弊社の調査では、人々がどんな価値観を持っているかについて調べる上で、特定の価値観を表す設問に対して、段階別で「とてもそう思う」から「まったくそう思わない」までの4段階で評価してもらっています。この手法にどのような特徴があるかと言いますと、社会に存在する特定の価値観を聞いた時に、YESなのかNOなのかを直観的に選んでくれるところです。

価値観というのは多くの場合、人々の脳内に長年かけてしみつき、それが一定の表現を獲得したものです。ある日にはこちらの立場を取り、また別な日にはあちらの立場を取るというやり方で選ばれるものは価値観ではありません。グラフに示されている通り、経済政策についての価値観は10問聞いています。4本の線は、それぞれ自民党をどれだけ評価するかという党派性を表しています。青い線は自民党を高く評価する層、オレンジの線はやや評価する層、グレーはやや低評価、黄色はまったく評価しないと答えた人たちです。

それぞれのセグメントごとに価値観の平均点を出してみたところ、このような折れ線グラフとなりました。価値観が乖離しているところは4本の折れ線グラフの間が空いています。例えば「多少の格差を生んでも経済成長は大事」に「そう思う」と答えている人は、自民党支持層に多く、自民党をまったく評価しない層は「そう思わない」と答える傾向にあります。

しかし、経済政策に関してはご覧の通り。4本の線がわりと近づいている設問が多いのです。例えば、「自由貿易には賛成だ」は党派を問わず賛成優位です。そして、「民間にできることは民間に任せていくべきだ」は、小泉郵政改革以来のスローガンですけれども、これも実は党派を超えて浸透していることがわかります。

つまり、日本人の価値観は、党派化しているものもあるものの、実は多くの場合はアメリカなどとは違い、価値観が収斂しているのです。そして、価値観は価値中立的な0のラインにきわめて近いところにあるものが多い――つまり、日本人は党派を超えてマイルドな経済的価値観を持ちがちであるということです。多くの先進国に見られるようなグローバル化かあるいはその否定かという対立軸はまだまだ日本の政治空間には出現していないといえます。

ただ、そこには負の要素もあります。つまり、皆が穏当なところを選ぶと多くの政治勢力が似たことしか言わなくなり、結果として、弱者保護が進まないということです。一番右の設問をご覧ください。「生活保護等の貧困対策にこれ以上予算を使うべきではない」。これがもしアメリカの民主党支持者であれば、完全に突き抜けた形で-2に近いところに回答選択肢が集中してもおかしくないわけです。しかし実際は、黄色の自民党低評価層ですら、-0.5という穏当な所に回答が集中しているわけです。

このことは、大体の日本人が程々に経済成長を欲し、程々にグローバル化を許容する中道であることを示しています。しかし、それでは、程々にしか弱者保護の政策は行わず、中産階級が落としどころだと納得した政策しか進まないことになります。考えてみてください。私たちの住む社会は少子高齢化の急速な進展、そして長引くデフレに不況と先進国の中でもすぐにでも対処が必要なことに溢れています。

日本の政治は安定していると言われますし、それは良いことでもあるのですが、結果として抜本的な改革はほとんど進んでいません。これは結局社会に堆積していく何かしらの鬱屈した閉塞感に繋がっていきます。ここではグラフとしてお出ししていませんが、2019年の参院選の結果を弊社で分析してみると、非常に多くの人が鬱屈した閉塞感や反エスタブリッシュメント感情を抱いていることがわかりました。エスタブリッシュメントの内実は、大企業であり、マスコミであり、政治や官僚です。

興味深いことに、自民党というまさにエスタブリッシュメント政党に投票した層ですら、かなりの割合が反エスタブリッシュメント感情や不信感を抱いているということです。人々は、変わらない社会を自ら作り上げ、自分たちでリーダーを選出し、中道の価値観を抱いておきながら、しかし閉塞感を抱えているのです。なぜこのようなことになったのかというと、それは政治と社会の距離が極めて遠いからです。

経済活動は、規制産業であれば政府の規制を受けますが、多くの場合、独立独歩の人々によって担われています。しかし、例えば、新しい人材を外国から調達しようとか、あるいは女性の活躍の場を広げようと思った時に、政府の制度なしに、完全自由に私人や企業が改革をしていけるわけではありません。例えば、土地利用規制の緩和、保育サービス、外国人の子どもたちに対する教育。こういった公的な施策や支援がなければ、真に突き進んだところにまで経済的な改革や新しいチャレンジは生まれないのではないかと思います。

次に、日本人の社会的価値観の今を見てみましょう。このグラフにおいても、党派別にセグメントごとの価値観の平均点を示しています。社会的価値観に関しては、党派別の価値観がほとんど開いていないことがわかります。唯一開いているのが、左から4番目の原発政策に対する価値観。エネルギー政策を社会政策と呼んで良いのかどうかは賛否が分かれるところでしょう。この原発維持政策をめぐる意見の対立を除けば、驚くほど日本の社会的価値観は党派化していません。

例を挙げましょう。例えば、2019年の参院選の大きなテーマだった夫婦別姓問題。与党の政治家がこれを見るとびっくりされるのですが、自民党を高く評価する層ですらほとんど反対しておらず、ごくわずかな反対しか見られません。そして、実はリベラルな人たち――自民党を低評価しているはずの人たちが、同性愛者を特別扱いすべきではないという設問においては、自民党高評価層と似た回答選択肢を選んでいます。これは、日本における政党をめぐる価値観の分断が社会政策にまでなかなか及んでいないことを示しています。

ただ、その結果として起きた良い点もあります。例えば、左から5番目と6番目。「外国人労働者の受け入れ拡大には反対だ」という価値観に対する賛否を問うたところ、すべてのセグメントにおいて、外国人労働者受け入れ拡大賛成に意見が収斂しました。大賛成というわけではありません。しかし、この価値観が党派化しないことで、政策をめぐる合理的な議論が進みやすいという効果もあるだろうと思います。

そしてもう一つ、「外国人観光客はこれ以上増やすべきではない」という価値観について。調査を設計した時点では、もう少し開くかなと思っていました。しかし、自民党の中でも保守的な政権である安倍政権になってからインバウンド推進が図られたことにより、保守の人々も成長のためには日本の魅力をもっと外国人に知ってもらった方が良い、インバウンド需要を取り込んだ方がいい、という考え方を持つようになっています。日本の伝統文化を大事にする保守は、例えば、京都の街が外国人で溢れることには否定的であったと思うのですが。

このことは、日本ではブレグジットしてしまったイギリスやあるいは大陸欧州のように移民問題をめぐる分断はまだ生じていないし、外国人排斥やそうしたトラブルをめぐる分断はまだ生じていないということを意味しています。もちろん、これは平均値ですから、中には極端な意見の人もいるでしょう。例えば、SNSなどで、コロナに関して外国人排斥の貼り紙がお店に貼られたというニュースも見かけますが、そういったものだけが目立ってしまう中で、意外にも外国人問題をめぐる党派的な対立は生まれていません。まず、そこから議論をスタートさせるべきだと思います。

海外を見ていると、先進国特有の病が次に自分たちに降りかかってくるのではないかと恐れてしまいがちです。確かに、急激な政策を大した社会的なケアも無しに推し進めてしまえば、当然、分断は生じるでしょうが、私たち日本社会の特徴を踏まえた上で、合理的な政策を調整していくこと、改革の方向性について合意形成した上で、どう達成していくのかを議論していくことを妨げるべきではないと思います。

このような社会的価値観の収斂度合いを見ると、日本の特徴としての同化能力の高さが見えてきます。これは日本人がこういった国民性を持っているというより、社会の中での同調圧力が強いがために、だんだんと同じ価値観になっていってしまうということです。これは民族をめぐる問題ではないと私は思います。つまり、日本の中で何が良くて、どのようなルールが良いとされているのかに関する同化の圧力がそもそも強いので、新しいメンバーシップを社会に受け入れた時にもそこそこ機能するのではないかということです。

しかし、社会の側も変わらなければいけません。ここ30年で女性の地位は飛躍的に上昇しました。30年前の常識は今の常識ではありません。ということは、女性に関する意識の変化と同じぐらいのスピードで、これから30年かけて外国人を含めた多様性について私たちが変革をスタートさせなければいけないということです。

調査方法について補足しておきます。マクロミル社に実施を委託し、全国の18歳以上の男女を対象に、年代ごとに割り付けた2,060人の回答を収集しました。

価値観調査は引き続き行って参りたいと思います。5年10年でどれだけ変化するのかは楽しみな部分があります。若者の価値観が柔軟で、日々刻々と変わっていくときに、国全体の傾向は変わらなくても、社会全体の雰囲気が変わっていくということは十分にあるのではないかと思っています。

結論

最後に、結論を簡単に述べたいと思います。

私たちが今直面している新型コロナウイルスによる危機は、単なる健康被害を超えて、先進国を中心に拡大した人為的な危機に発展しています。それによって発展途上国や国内における弱者の生きる権利が奪われています。そして、生きる権利を奪うというのは、私たちが新しい地球、新しい次の日本をつくっていく将来世代の権利を奪っているということにほかなりません。結果的に、その行為によって私たち自身も打撃を受けるであろうことには、今から留意しておく必要があります。

2番目のポイントは、日本の成長をあきらめず、今から持続的に頑張っておく必要があるということです。経済活動を一ヶ月止めた方も多いでしょう。しかし、その中で、失われてしまった雇用は後から取り戻せないのだ、もう経済活動をやって行く意味はないのだ、と悲観される人たちがあまりにも多ければ、日本社会は潰れてしまいます。この不確実性の中で、アフターコロナを見据えて、どうにか成長を目指していかなければいけません。人を雇い続けなければいけません。コロナ禍が終わったときに、失業者がどんなに大量に出ていたとしても、私たちの社会における人手不足という構造的な欠陥自体は変わらないわけですから、結果的にアフターコロナの超長期を見据えた頑張りが必要になってきます。

その中で、お金が回らない仕組みを見直さなければいけません。とりわけ、新型コロナウイルス危機が去ったあとには新規投資が手控えられる傾向にありますから、もう倍旧する努力をもって成長分野にお金が回っていく仕組みをつくらなければいけません。そして、限られた人材の中で、誰も無駄にされたり潰されてしまう人が出ないように、異端児を排除しない社会をつくっていく必要があると思います。

3点目のポイントです。これまで述べてきたように、日本の少子高齢化を前提とすれば、インバウンドを呼び込み、交流人口で需要減を補わなければいけませんが、それだけではありません。私たちは自分と肩を並べて働く外国人労働者と共に生きていく覚悟が必要です。これは単に受け入れれば良いというものではありません。彼らと肩を並べながら、しかし私たちの社会が持つそれなりに良い部分に関する同化力を用いながら多様性を取り入れ、私たちも変化していくという社会発展にプラスのサイクルを増やしていかなければいけません。

そして最後に、国内のフロンティアという今まであまり注目されてこなかったところを開拓していくために、行政の改革と民間の活力を相互に活かしていくこと。どちらが上に立つというのではない、お互いに助け合う仕組みが必要ではないかと思います。